***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年10月25日金曜日

海岸沿いの都市パダン

毛布引っかぶって寝てるのに寒い!我慢できん!暑い熱いあついとこへ行く!れっつごーパダン! パダンは海沿いの低地だ。暑いはずだ。

赤いコルトでバス停へ。でかバスでパダンまでは2時間半、2000ルピアであった。ふたつの3000メートル級の火山の間を抜け、道は下る一歩だ。松林が姿を消すとともに、椰子とバナナの木が増えてきた。パパイヤの群生の見送り、たわわにみのるジャックフルーツの横をすりぬけ、そうこうしているうちにうっすらと汗がわいてきた。風が、湿り気を帯び始めた。熱帯だ。熱帯だ。

パダンは海岸沿いの都市である。人口約70万。大都市だけあってホテルが安くなく、バス・トイレ共同のツインが12,000ルピア。しかしとても暗い部屋で、手入れも行き届いていないし嫌な感じだ。隣のホテルは窓も大きく、もうちょっとマシであったが16,500ルピア。タイだと160バーツ出したらバス・トイレはついてるぜくそう。

しかしまあ、一泊のことなんでとりあえず後者にチェックイン。風呂だ。4日ぶりの風呂だ。

風呂はいわゆるMandiスタイルで、銭湯のタイル張りの浴槽に似たものに水が張ってあり、プラスチックの手桶で体を洗うというもの。張ってあるのが湯ではなく水だということ、水につかってはいけないことを除けは日本の風呂とかわらんので、私にとってはどってことないのだが、シャワーじゃなきゃイヤの相棒が不満たらたらだ。

風呂から上がって街に出る。ミスった。暑いんでついノースリーブを着てしまったのである。肩の部分の広い、ゆったりしたデザインだったがノースリーブはノースリーブ。インドネシアでは目立ってしまった。街に出たら人が見ること見ること、100人のうち98人までが肩のあたりを見つめている。とくに殿方の視線ときたら、もしかして私、服着るの忘れて外出してるのか?というぐらいであった。

おかしいのが相棒で、怒ること怒ること。エサの皿を守るブルドッグのようにガンを飛ばしまくりながら、私の手を引くのである。無理すんなって。

ジャカルタ行きのバス、エアコンなしが45,000ルピア、エアコンバスが70,000ルピア、「スーパーデラックス フルエアコン TV カラオケ リクライニング2-1シート エグゼクティブバス」が100,000ルピアであった。このバスの名は真実だ。横っ腹にそう書いてあるのだ。ちなみに飛行機は245,000ルピア。

夜行バスでカラオケが始まってはかなわんので、普通のエアコンバスにしたのだが、30時間のタフな長旅の予定なのに、明日のバスはトイレの前の席しか空いておらず、なかなか暗雲たれこめる出だしである。

現地の食べ物で相棒が食べられるものが何も無く、私も安めし屋のパダン料理にはもひとつ食指が動かんので、なんとびっくりKFCへ行く。相棒が自分からファストフードを提案するなんて、信じられないことである。ところがKFCの看板目指して歩いていると、200メートル手前にCFCという現地資本らしき店があり、店もまあまあキレイなのでそっちに入ってみることにした。

チキン1ピース1500ルピア、紅茶1200ルピア、アップルパイ1600ルピアと、日本人の感覚からすると鶏安すぎて不気味ではあるが、味はKFCとどっこいであった。