***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年6月17日月曜日

楽山の摩崖仏

一時間遅れで蛾眉山に到着。プラットフォームに降り立つなり、客引きが寄ってきてうるさいうるさい。追い払っても追い払っても寄ってくる。しかも「蛾眉山には泊まるところが無い、蛾眉市内に泊まれ」と大嘘をこくのであった。我々はお寺の宿泊所に泊まることに決めていたにで相手にしなかったら、我々をいつまでもいつまでもすごい目つきでにらみ付けているので(視線で人が殺せそーな目つき)、ぞっとした。

蛾眉バスターミナルで荷物を預け、10時発楽山行きのバスに飛び乗った。楽山は中国最大の摩崖仏で有名な観光地。蛾眉山を離れること31キロ。到着後、ぐうぐうのお腹で食堂にとびこみ、沙鍋豆腐と青椒肉片、おもいっき赤ムラサキ色の野菜を炒めたやつを食べた。白ごはんがショッキングピンクに染まって、ちょっとおもしろかった。

12時前、対岸の大仏サイドへ渡る船に乗るも、すぐ出るすぐ出るといいつつ1時過ぎまで客待ち。すぐ目と鼻の先なのにー。

大仏は変な顔だった。相棒が「清代の作だ。」と自信を持って言い切るので、「そっかー、やっぱり変な顔やもんなー。やっぱ仏像は唐代から宋代に限るよなー。」と大声でほざいておったら、入場チケットに「713年-803年の作」とまさしく唐朝期の年代が書かれており、照れた。相棒のボケ。気ィつけてもの言わんかい。でも唐代の作としてはやっぱ変な顔だと思う。後世のへたくそな補修が入ってるんではないのかなー。<シツコイ

対岸の船着き場まで8元。そこで烏憂寺のチケット買ってお寺見物。花がたくさん植わっていて、静かで空気が良く、高台にあるため対岸の眺めもばつぐんで、いいところだった。ここにも宿泊所があるらしいが、一般人が泊まれるかどうかは不明。

寺から丘をえっちらおっしら登って、大仏へ向かう。暑い日で、汗まみれになる。くねくね曲がる山道を登ったり降りたりしていると、突然!という感じで大仏の頭のところへ出た。ここから大仏の足のところまで降りる階段が付いているのだが・・・だめ。私はもうダウン。頭の後ろの道を通って、反対側へ抜ける。

ところでこの大仏見物チケット、15元+傷害保険が1元。チケットのシリアルナンバーは1、375,820である。番号が通しであるとすれば、すでに 140万元近くの積立てがあることになるが、一方、死亡者に対する最高補償額は1万元。オイシイ商売だと思いません?こんなのチェックする外人ってワタシだけ? <キミだけや、キミだけ。

大仏はやはりでかかった。それなりの満足を得て楽山を離れ、またしても群がる客引きの腕の下をかいくぐって蛾眉山麓の報国寺へ。一ベッド25元の清潔なツインにチェックイン。TVとベープマット付き。あくまでも静かで空気の澄んだ聖山。縁側のような廊下で中国椅子に腰掛けてお茶を飲むのは、最高に贅沢な気分である。