朝6時のバスで臨夏へ向かう。しかし、バスターミナルでいくら待ってもバスは来ない。私たちと同じバスを待っているのは白い帽子をかぶった回族のおっちゃんばっかりで、この人々がまた、見事なぐらい漢族とは違う顔立ちなのであった。彫りが深く、目が明るい茶色で、南方(広西とか福建泉州とか)で見かけたベタな顔(漢族とかわらん)回族とは全く違う。髪もひげも、なんだかくるくる渦巻いてるしなあ。
バスは7時を過ぎてやっと来た。しかし、ここがバスターミナルで始発のはずなのに、なぜか客も荷物もどっさり乗せているのであった。謎。とにかく乗りこみ、外国人の振りをして(<外国人やって)、運転席後ろの眺めのいい席に陣取り、荷物も席の周りに上手く固定してさあ出発!と思ったら、さっきの回族のおっちゃん&おにいちゃんズがサンタクロースのように巨大な袋をひとり二つ三つぐらい抱えて乗ってきた。袋はでかい割に何やら軽そうだ。席はもうひとつも残っていない。回族集団は袋をドアのあたりに積み上げ、ホウ!ホウ!と掛け声をかけながら、袋の上に勢いよく寝転がった。袋はクッションのように柔らかく、彼らはポンポン跳ね上がりながらホウ!ホウ!と高い声をあげている。分かった。袋の中は刈ったばかりの羊毛だ。
7時半、ようやく出発。朝5時版起床の私はすぐにぐーすか眠りに落ちた。
8時半ごろ、回族のおにいちゃんの歌う、歌詞は全く聞き取れないが何やら哀調をおびた民歌で目を覚ます。というか、真後ろで歌われたのでたたき起こされる。高い高い裏声を使った歌い方で、一節一節の最期は消え入るように低くなって終わる、実に旅情をそそる歌で、それをひとりひとりが入れ替わり立ち替わり輪唱のようにつなぎ、また時にはグレゴリオ聖歌のように何人かで声を合わせて歌ったりして、それだけで鳥肌が立つぐらいの贅沢な瞬間だというのに、気がつくと窓外にはさらに黄土高原の大峡谷が360度にわたって広がっていて、もはやどんな言葉も無力でしかない。世界にはまだ私が見たことのない風景がたくさんあって、それらはみな私に見られるのを待っているのだ。
歌詞は即興で、あんたたちのことも歌ってるよと、漢族の男が教えてくれた。見知らぬ若い旅人が、自分たちの土地を旅しているという内容だそうだ。方言なので私たちには全く聞き取れない。が、しかし、なんという贅沢。
9時半、第一の通過点、甘谷を通過、絶壁に巨大な塑像仏があり、その手のひらは8人が乗れるサイズなのだという。
バスは所々で忘れず故障を繰り返しながら、夜7時半、臨夏西バスターミナルに到着。臨夏飯店にチェックイン。バス・トイレなしのツイン、なんと共同シャワーも無しというツインが60元もしてびっくり。相棒が広東人のふりをして値段交渉にあたる。半額まで下がったが、登記時に香港の回郷証を出すと、香港人は40元と、何の根拠もなく気分で決められてしまった。
しらんぷりんこして部屋へ行こうと思ったが、私の身分証も要求してきた。日本のパスポートを出したらまた高くなるなあ。とりあえず香港のIDカードを出してみる。小姐はなんの疑いもなくID番号を登記して返してくれた。おお、これは使えるぞ。
というわけで臨夏に1泊。ここは完全に回族の町で、道行く人々のほとんどが頭にふち無しの白い丸い帽子(男性)・黒いレースのベール(女性)をかぶっている。回族以外には、回教徒のサラ―ル族とパオアン族が住む。
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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。