***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年6月29日土曜日

天水麦積山

天水到着は5時半ごろの予定だが、5時前には服務員にたたき起こされ、枕・枕カバー・シーツ・毛布・タオルケットの有無を確認させられる。相棒なんか「そこの若いの、タオルケットを探しなさい」と、「若いの」扱いされる始末である。北方語ではこれがフツーなんかい。

さて、駅から15キロ離れた市中心までミニバスが出ており、昼間は一元、夜間は2元であった。我々は荷物代を5毛/個とられた。バスターミナル付近でおろしてもらい、建新飯店にチェックイン。まだ6時にもなっていないのでフロントが無人であり、宿直室で寝ていた服務員を起こしてチェックイン。(ごめんね。)相棒の回郷省だけを登記したので誰も私を日本人とは知らない。なんだか変な気分だ。

とりあえず寝直す。9時過ぎ起床。麦積山へ行ってみる。

まずは宿からミニバスで北道站へ。そこでバスを乗り換えて麦積山まで5元。北道からしばらくの道のりは、景色は黄色く乾いていたのに、麦積山に近づくにつれて山に緑が濃くなってくる。そして麦積山の周辺は、緑滴る見事な風景となった。麦積山というのは、山の形がこのあたりで麦を収穫後に積んだ「麦積(まいちー)」の形そっくりなところからきたそうで、その「まいちー」が小麦の取り入れシーズンらしく、あちこちに積んであった。

さて麦積山でかかった費用は二人合わせて64元。意外とかからなかったなあ。

ミニバスで麦積山に向かうと、途中に「麦積山風景名勝区」というゲートがあり、そこでチケット6元なりなりを購入せねばならない。内訳は入場料5元と保険料1元。甘粛省では保険ビジネスが発達しており、外国人がホテルや交通期間を利用する際には7日なり15日間なりの保険を購入することを義務付けている。なんでも、けっこうな額らしい。(私はまだ外国人とバレていないので購入していない。)どこの外国人が事故の後にこんなところで保険がおりるまでじっと待つかって―のだ。

チケットが6元と聞いて意外な安さにびっくりしたが、そんなはずはないのであった。このチケットは麦積山見学用チケットではなく、地元の公安が観光客からとくに理由も無く勝手に徴収しているもの。石窟を見学するチケットは石窟の保護・修復・参観などを管理している団体からさらに買わなければならない。甲票25元・乙票10元。甲票はガイドつきだが10人まで集まらないと出発しない。外国人料金が無いのはオドロキだが、甘粛省には見所が他にもいっぱいあるから、外国人観光客はここまでこないんだろうな。来ても日本人ぐらいだと思う。

それにしてもここで払う10元なり25元なりは、少なくとも石窟の保護に役立つわけだし、石窟の価値から行っても安いほうだと思うが、さっきの6元は公安どものポッポにナイナイというわけで全くの捨て銭、納得いかんよなあ。

麦積山には手ぶらで行くことをおすすめする。入り口にてすべて預けさせられる。その際、かばんをあけて中を見せるよう命ぜられるが、素直に見せるとカメラひとつにつき2元を徴収されるので要注意。相棒がカメラとビデオ、私がカメラで計6元である。誰も預かってくれなんて頼んでないし、だいたいもしそっちで紛失しても弁償してくれるはずなんて無いのだ。相棒のはニコンの一眼レフにソニーのビデオ、私のバカチョンだって実はカールツァイス搭載である。先進国では普及品だが、ここでは管理人の年収よりまだ高いと思います。

すったもんだの挙句、結局金だけ払って持って入る。が、中になぜかもう一度手荷物強制預かり所があり、相棒のカメラバッグはついに預けさせられることとなった。すでに学習済みなので中を見せろといわれる前に「カバンひとつね、ハイ2元」と素直に預け、私のカメラはポケットに押し込んで持って入った。

麦積山石窟はなかなかよかった。こっそり写真も撮ってきた。しかし記念撮影屋がどっさり中にいて、この人たちの生活を保護するために手荷物預かり所は厳密に運営されているんではないかとも思った。

夜。天水の思いがけない一面を発見。中央広場の夜市がすごいのだ。商店と食べ物の屋台が分かれており、屋台のほうがよりどりみどりだった。蒸籠に入った排骨と回鍋肉、韮と骨付き肉の炒菜、干豆腐と肉の炒菜、ごはんとスープがしめて12元と安い安い。それから麻辣湯串、うー!