古道具屋でTIMEの神戸復興特集(96年1月号)を買う。K10。昨日はNewsweekのバックナンバーを、こことはちがう道端古本屋で眺めていたら、特集が台湾で、なんだか見覚えのあるような無いようなオッサンが表紙だった。誰だろうとしばらく立ち止まって考えていて、ふと思いついてひっくり返して日付を見ると、1982年3月号! うっひょー、15年前のNewsweek、あっ!このオヤジ蒋経国(蒋介石の長男)だ!
昼食は以前に食べたことのある薄餅(ぽーぴゃあ)屋で。薄餅(ぽーぴゃあ)とは福建南部の食べ物で、揚げてない春巻きのでかいやつである。甘辛いたれと、青海苔をつけて食べる。揚げてないやつを4本、揚げてあるやつ(つまり春巻)を2本食す。肉は入っていない。これが中華の喰いおさめになるかもな…。
300Kのタクシーを捕まえて、市街地からYMCAへ移動し、荷物をピックアップ。それから空港へ向かう。BIMANは、やはりといえばやはり、遅れた。お詫びのしるしに空港のレストランでお茶とサンドイッチが提供されたが、5mmのパンに1mmのチーズが挟まっていて、寂しかった。
やっと到着したBIMANは、ミャンマーに乗ってきたときのよりやや新しい、しかし同じ大きさの機体だった。1時間で予定通りチッタゴン到着。私たちは乗ったままでダッカへ行くのかと思いきや、全員荷物を持って降りろとの指示。人の流れに沿って歩いてゆくと、イミグレがあった。トランジット客も本当にここに並ぶのだろうか?係員に尋ねると、トランジットラウンジに行って、新しいボーディングパスを取ってこいとのことである。
トランジットラウンジで、首尾よく新しいボーディングパスを取得。ヤンゴンからは自由席であったが、ここから座席指定であった。係員に、「飛行機に荷物を置いてきたか?」とフシギなことをたずねられる。大荷物のほうはチェックイン時に預けたが…。そう告げたら、「では今すぐ飛行機からその荷物を取ってきて、税関へ急げ」との指示が出た。訳がわかりません。
そもそもダッカでトランジットしてネパールへ向かうのに、なんでチッタゴンで通関なの。ぜんぜんわからん。しかしここはバングラデシュ、非合理的で非効率的なこともいろいろあるのだろう…とあっさり納得というかあきらめ、飛行機の方へ戻ると、飛行機の腹の下に私たちの荷物だけがぽつんと二つ、地面に置いてあった。ひー。誰でも持っていけるやん。
税関へ行くと、荷物と役人と客で戦場のようであった。税関職員・イミグレ職員たち、誰一人制服を着ていないので一般人となんの見分けも付かず、この人たち誰!?信用できるのっ?って感じである。客一人につき係員一人がカバンを開けると、何人もが寄ってたかってカバンの中をごそごそ調べだす。うかうかしていると、小さなものをやられてしまいそうだ。実際、一人が私のタンポンに目をつけ、ごそごそやりだした。箱を勝手にべりっと破り、中身を取り出してはいろいろと調べだしたのである。そうこうしているうちにほかの係員たちもコレはなんだと騒ぎ出し、なにやら蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
それは「サニタリーナプキン」の一種だ!と主張しても、誰も耳を傾けない。サニタリーナプキンという単語を知らんのかもしれん。今思ったが、アンダーパンツが普及してない国での月経血の処理というのはどうやってるんだろう。しまいには個別包装をやぶって中身を分解し始めた。
「それはレーヨンと綿ならなる衛生用品である」
「確かに綿だ」
と、タンポンをほぐしながら難しい顔の係員。この先インド亜大陸でそれを補給できる見込みは無いので、頼むから無駄にせんといてほしい…。私たちはとうとう別室に連れて行かれた。別室で女性係員を呼ぶように強硬に主張。女性係員に粘り強く説明をすると、彼女は突然電球がともったような表情になり、「あなたは結婚しているのか?」
なんの関係がー。
「そこにいるのが夫だが。」
「しかし国籍がちがうし、姓もちがう!」
タンポンと私のマリッジステータスに何の関係があるのか問い詰めたかったがぐっと我慢し、ここでもまた英文が併記された香港の結婚証明が役に立ったのであった。ようやく私の荷物は解放され、チョークで大きくなにやらベンガル語で書かれたが、そのときには貴重な私のタンポンは好奇心あふれる係員たちにきっちりパチられ、ごっそり減ってしまっていたのであった。
再び荷物を預け、飛行機に戻った。再離陸。出張先のチッタゴンから駐在先のダッカに戻るという、日本の商社の男性たちが乗っていた。つまりここから国内線扱いか。しかし私たちはまだ入国していない(パスポートコントロールを受けていない)のだが・・・。えらい国に駐在してはるなあ…。
ほどなくダッカ到着。ぞろぞろと空港の建物に入り、予約済みのホテルの指示に従い、トランジット/トランスファーデスクに並ぶ。パスポートを取り上げられ、待つ。ものすごく効率の悪い仕事ぶりにもかかわらず、7人のトランジット客をホテルへ送り届ける手続きはたった一時間で完了した。
ぼろぼろのワゴンに乗せられて、連れて行かれたのはMID TOWN HOTEL。私は、その国のフラッグキャリアがトランジット客に斡旋する宿なのだから、てっきりエアポートホテルかそれに準じたようなホテルだろうとなんとなく思っていたら…
これだけ汚いカーペットは中国でもみたことがない。入るなり強烈な悪臭がした部屋は、余りのひどさにすぐに換えてもらったが、変えてもらった先のカーペットも大して変わりは無かった。窓の外30センチに隣の建物があり、窓を開けても換気にはならない。シャワーは当然お湯などでない。
しかもバングラデシュ、暑い国かと思ったら結構寒く、あわててセーターを着込むもときすでに遅し、二人とものどが腫れてきた。私は鼻水もズルズルだ。どうやら持病のカビ&ハウスダストアレルギーも出たらしく、たいそうツライ一夜になりそうだ。
私たちの部屋はレセプションがあるビルの隣の工事中の建物の中にあり、このたいそう治安のよさそうな国で、門も玄関もへったくれもなく、いわゆるひとつの「どっからでもかかってこんかい」状態。戸締りもへちまもない、開けっ放し、外部の人間入り放題である。私たちは部屋の窓、風呂の窓等々をしつこく確認したうえに、チェーンロックのないドアを片方のベッドで塞いで眠った。