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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1997年1月7日火曜日

Taunggyiへのサイドトリップ

朝食が貧しく、食べ物がアレだとすぐに機嫌が悪くなる相棒のご機嫌が悪くなってきた。備蓄燃料(脂肪)のない人はたいへんである。朝食は薄いパンとお茶とくだもの。卵なし。しかもお湯が出ず、朝はトイレの水も流れず(流さずに出るのはとても精神的にくる)、これでマンダレーと同じUSD8というのは納得いかんなあ。マンダレーではお湯は24時間じゃあじゃあ出て、清潔なタオルが提供され、パンはおいしいのが焼きたてて食べ放題で、卵は二つ、注文に応じて調理してくれた。ぐぬう。

宿の印象が悪かったせいではないが、インレー湖自体の風光も、湖のそばにいる限りは正直言って大理より優れているという感じはしなかった。めぼしい観光地を小舟でまわってしまうと、あとは正直いってすることがない。散歩かサイクリングかトレッキングかというところだが、実は湖畔は湿地帯で徒歩でも自転車でも入って行けないし、トレッキングはガイドと車を雇う必要がある。それでインレー湖で長居をすることは諦めて、西に移動してTaunggyiという、外国人に許可された最西の街に行ってみることにした。

交通はトラックしか無し。トラックで一時間、途中から道はぐんぐん登り始め、インレー湖を見下ろす景色のいいことといったらない。遠目のほうが美女なのか。

さて、Taunggyi自体は特に魅力的な街ではなかった。ただ、でかい街なので市場の規模が大きく、それはおもしろい。私としてはぜひ一泊してみたかったのだが、宿を探すとUSD10以下の宿がなく、それも何やらちょっと荒れた感じの宿ばかり。外国人がここから西の国境付近の地域に入れないのは、この先が主要民族による中央政権のコントロールの届かない地域、パキスタンで言うトライバルエリアに当たるから。この先をずーっと行くと、中国・ラオス・タイとの国境地帯です。つまりアヘンの栽培地。

東部のThaziかMelktila行きの交通を探すも、バスはなく、ヒッチは相場の倍をふっかけてきて譲らず、これも断念。インレー湖に戻ることにした。Joy Innはどうも好みに合わなかったので、運河に面したGolden Duck G/Hに行く。ここは最も安いダブルがUSD4なのだが、それは床の上にマット直敷きなので避けて、USD6のツインに入る。建物は木造だが部屋はJoy Innより広く、窓からの眺めもよろしい。湯も水も出た。