***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1997年1月13日月曜日

チャイティヨの落ちそうな岩見物

8時起床。朝食に市場で買って来た濡米飯(もち米のごはん)を食べ、8時半、道端でバスを待つ。折よく!トラックではなく、バス(どうも緑の南海バスくさいが、中途半端に外装を塗り替えているのでイマイチ確信がもてない)が来た。バスは地平線まで続く田畑を走り抜けて行く。背中に大きなコブのある白いコブ牛をつけた牛車が土けむりをもうもうとあげながら、ゆっくりと進んで行く。ミャンマーで見た牛は必ず痩せていた。それも猛烈に。水牛はどんなところでもパンパンに太っているに、あれはなぜなのだろう。道は形だけ舗装されているが、実のところガタガタで、しかも土まみれだ。

45分の昼ゴハン休憩をはさんで、バスは11時半にチャイティヨ到着。少し離れた場所にピックアップトラックが集まっている場所があり、キンプンまでそれで移動。約30分。キンプンからは全くのトラック、屋根も座席もない荷台に乗り換えて、山頂を目指そうとすると、来た来た外人料金取り。私は諦めて普通の服で来てたので潔くオフィスに向かい、例の中国人だから米ドルがない作戦を鋭意展開していると、阿中が監視人に連れられてやってきたのでびっくり。初めてバレた!ロンジーはいてるのに。

結局二人合わせてUSD12を徴収され、ぷんすか怒りまくりながらトラックに戻る。トラックえらい山道を30分以上かけてえっちらおっちら登って行き、荷台の客はアクセルとブレーキの度にころころ転がった。阿中は昨日インド人の雑貨屋ではちみつの瓶を右足の親指の上に落とされ、爪にひびが入っている。にもかかわらず本日の(失敗した)ビルマ人変装作戦のために、靴をはけずにサンダルだ。荷台でころころ転がっているうちに客の一人に足をふまれ(私かも)、爪が割れてはがれて血が出ている。破傷風が心配だ。

トラックを降ろされると、そこから歩いて一時間ほどで山頂である。がけっぷちから転がり落ちそうな岩を遠目に見ながら、山道をじりじりと登って行く。暑くて埃っぽくてとてもしんどい。これをがんばっちゃうと、明日まる一日くたばって過ごすことになるなーと思いつつ登っていると、折よくトラックが登って来た。インド人の家族が包車(貸し切り)したらしい。ご家族にお願いし、50チャットで乗せてもらった。そのトラックも岩の真下まで行くわけではなく、だいぶ手前で降ろされた。(しかし歩けば一時間はかかったと思う)

さらに15分ほど登って岩へ。男だけが岩に触ることをゆるされている。愉快ではないが、大峰山とかもそうだよな。相棒が岩の下を覗きこんでいるところを写真に取り、岩をひとめぐりし、拝み、眺めると、もうここでできることは終了。ぜひとも夕陽を見たかったのだが、バゴー行きの最終便(バスとは限らない)が6時ごろだというのであきらめ、急いで山を降りる。

キンプンでピックアップに乗ると、行きしなに道を教えてくれたお爺さんが乗って来た。目の青い、顔の長い老人だ。ネパーリーかとも思ったが、だとすると少しぐらいは英語が出来そうな気がするので、違うだろうな。もしかして植民地時代の遺児。。。それはさておきバゴー行きの便を待つ。チャイトーの路傍茶屋で待っていると、やってきたのはやはりというべきかバスではなくピックアップトラック。料金はバスと同じ150チャット。この後にバスが来る見込みは限りなく低いと思われるので、仕方なく乗る。けつが痛い。しかも、混みこみのきちきちだ。

行きに食事休憩が有った場所で休憩。再出発しようとするもなかなか出発しない。乗客の一人であるお婆ちゃんを、全員で引きずり降ろそうとしているが、お婆ちゃんは降りない。(ここで一つビルマ語を覚えた。「セッセッセッ!」は「降りろ!」だ、たぶん。) みんなすごーく困った顔をしていて、お婆ちゃんは一人でだだをこねまくっている。ドライバーは怒っているし、客も怒ったり苦笑したりだ。どうやらこのお婆ちゃん、「わしはマンダレーにいくのじゃあ!」と主張しているらしい。しかしこのトラックはバゴー経由ヤンゴン行きで、全然反対方向である。お婆ちゃん、どうやら痴呆症らしい。しかし口はとっても達者で、乗客、集まって来た見物客の説得にもがんがん口答えしまくってて、一向に降りない。「わしはマンダレーへ・・・」

そのうち一人の若者が、「お婆ちゃん、あっちにマンダレー行きのバスがきたよ!」と暗闇を差してお婆ちゃんの気を引いた。「わしはこのトラックでいくのじゃあ。」「でもこのトラックはいかないよ。マンダレーに行くのはあっちのバスだよ。」「絶対か?絶対か?」とおぼしき会話ののち、お婆ちゃんの動揺を見て取った例の青い目の老人が突然、「あのバスがマンダレー行きだ!みんなであっちに乗り換えよう!(推定)」と、大声で呼びかけた。即座に老人の意図をくみ取った乗客が全員腰を浮かせ、マンダレー行きはあっちのバスだ!と口々にわざとらしく叫びながら下車、つられてお婆ちゃんも不安そうに下車し、見物客のひとりに手を引かれてあちらへとふらふら歩き始めたところで乗客、速攻でトラックに飛び乗った。三人いた僧侶など、入り口から乗るのももどかしく、窓から乗り込んだぐらいだ。乗客が座るのもまたずに、トラックはきゅーんと出発。ここまでたっぷり20分。お婆ちゃんはあのあとどうしたのだろう。ちゃんと皆に騙されて、家行きのトラックに乗せてもらえたのかなあ。

明かり一つないたんぼの中の道を、トラックは頑張ってぶんぶん走り、バゴー到着は九時半。急いで軽く食事をとると10時過ぎ、風呂に入って十一時。ぐーーーーーすか寝た。時間と体力を使った一日であった。