日本の団地そっくりの4階建てで、日本と違うのはやはり椅子生活だけあって天井が高いこと。香港の感覚でいうと大きなリビングに、寝室が二つ、台所とトイレ・シャワーにベランダ付き。まずまずうらやましいお宅ですなあ。
ここでびっくり。相棒が親戚ばら撒きように用意した大量のお土産の中から、香港であれだけ探しまくってとうとう出てこなかったCertificate of Identityを発見。こんなとこに!だれがこんなとこに入れたっ!?って、私じゃないですよ。私はお土産にはノータッチだ。しかしとりあえずこれで旅を続けるあてが出来た。
荷物を置いて観光へ。バスで南普陀寺へ。山の中腹に段々に並ぶ寺はとても見事である。精進料理を食べたが、これも見事なお味であった。それから華僑博物館へ行く。たいそう立派な洋館で、もともと何か由緒ある建物だったのだろう。
いったん叔母さんの家に帰り、手土産の洋酒などを携えて、いよいよ鼓浪嶼(グーランユイ(普)ころんす(廈))へ向かう。ほぼ20年近く帰っていなかった相棒の故郷へ。
輪渡から座席の無いフェリーで5分。鼓浪嶼はすっかり観光名所となっているようで、相棒はびっくりである。阿片戦争のあと、対外開放港に指定され、外国人貿易商が集中して住んだのがここ、鼓浪嶼なのだそうだ。(長崎の出島のようなものか) そのため、建物の多くが見事な洋館で、島ごと神戸の異人館通りといった趣である。もっとも、手入れは悪い。

「ワシは廈門で死ぬのじゃぁ」と言って香港から廈門に帰ってきたおばあちゃんは、相棒の生家に長男・次男夫妻と住んでいた。実家は最近立て替えたのでとってもキレイ。三階だて屋上付き。床なんかピカピカの花崗岩張りである。(南タイの華僑のウチで見たやつといっしょや。)各階に独立しており、一階なんか住む人がいないというありさまであった。思ったより立派なんでびっくりだ。(写真は相棒んちではない。念のため。)

1階においてある酸枝と大理石の椅子セットは、100年モノの骨董だそうである。相棒は子どものころ、よくこの椅子の上でうたた寝をしたそうだ。私にはヨダレのでそうな家具であるが、相棒の一の伯父・二の伯父夫妻にはそういうシュミはないらしく、彼らの居間にはそれぞれピカピカの応接セットが置いてあった。

こういう建物があちこちにある。

相棒の母校。
