***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年4月5日金曜日

泉州開元寺

昨夜の夕食と本日の朝食は雲南から出稼ぎに来ている耳の聞こえない男性の店で食べた。安くておいしくて、しかも清潔!この人は建水の出身で、もう5年、泉州で働いているという。建水行ったことあるよ、朝陽楼が有名な町でしょう?などと筆談を交わす。

さて朝食後、散策。大きな建物があったのでとりあえず入ってみる。孔子廟だった。居間は小学校として利用されている。宋代の建立だそうだ。日本だったら重文指定でもおかしくないが・・・

そこからあるいて開元寺に向かった。ここは北大の中野美代子教授(だったと思う、うろ覚え)が指摘した、孫悟空のルーツをうかがわせる猿のレリーフがある塔があるはずである。残念なことに、猿のレリーフがある方の西塔は風化が激しく、登れなかったが、本来こちらも登れないはずの東塔がたまたまパッケージツアー団体向けに開放されていて、ラッキーにもご相伴にあずかることができた。(東塔から西塔を見る。瓦屋の街なみが美しい。)



猿神はインド叙事詩「ラーマーヤナ」に搭乗する神様で、これが商人たちによって中国にもたらされ、孫悟空のモデルとなったというのが中野教授の説。

少林寺にも行ってみた。清代に反清活動の拠点となったため、キレイさっぱり焼き払われており、小さな御堂が残っているだけだった。湖南の北少林寺とはおおちがいだ。(一般的に少林寺と言えばこの北少林寺) 李連杰のクンフー映画「洪 官」(子連れ狼みたいな設定の話)の冒頭は、確かこの泉州南少林寺焼き討ちのエピソードであったはず。

それからイスラム寺へ。1009年建立。現在でも泉州14万の人口のうち、3万人はイスラム教徒なのだそう。イスラム寺のとなりに道教のお寺があり、関公(関羽雲長)、岳飛(宋朝の英雄。讒言により処刑)を祭ってあった。しかし相棒は天后娘娘が怒ると言うて見るだけ、お祈りはしない。外の塀に「封建迷信反対!」というハリ紙があり、ブキミだった。こんなん言うやつ、まだおるんかあ。



泉州の天后宮にお参り。台湾最大の天后宮、鹿港のはここから勧請したはず。廈門へ帰還。しかし、ちょこまかしいの相棒のペースで動いたため、私はヘトヘト。お風呂に入ったはいいけれど、たちの悪い風邪をひいたらしく、セーターを着て靴下はいて、ふとん+毛布2枚着て寝てるというのに寒くて寒くてしょうがない。体もだるくて死にそう。しかし不思議なことに、熱はまったくないのであった。苦しい夜であった。