朝6時半というキョーイ的な時間のバスで永定へ向かう。しかhし、6時半に我々が乗り込んだバスは我々を含めて3人しか客がおらず、結局バスは客を求めて市内をゆっくり流して回り、廈門を離れたのは一時間後のことであった。
大きなバスではなく、マイクロバスの老爺車。めっちゃトロイ。しかも地図で見て予想していた最短距離を取る道は走らないらしい。南請から河を渡って山道へ、とたんにタイヤがパ~ンク。30分かけて修理したのち、なんと舗装されていない道を走り出したではないの。お尻、痛いよう。
こんな道、地図にも乗ってない。舗装もされていない道をこんなに長距離移動するなんて・・・
相棒は前に座っているおっちゃんにバスの行き先を確認した。その人は永定に帰る人で、なんと68年に鼓浪嶼から永定に下放され、現地の女性と家庭を持って、永定に定住したのだそうだ。下放当時は発電所の技師だったという。都市戸籍を持つものが農村戸籍所持者と結婚すると、両名共に農村戸籍所持者となるのが普通だそうだから、この人はおそらくそのケースなのだろう、とは相棒の推測。ちなみに相棒と話すとき、このおじさんは完璧な鼓浪嶼語を話したそうだ。
相棒の伯父一人、叔母ふたりも永定に下放されたことがある。永定は客家語の土地。当時は普通語もほとんど通じず、非常な苦労をしたそうだ。
さて、わたしが永定に行きたかったのは、客家の円居を見たかったため。小規模のものは各地にあるが、永定のは直径50メートル、4階だて、壁の厚さ90センチ、見事なサイズである。これほど見事なものは数えるほどしかないのだろうと思っていたら、あるわあるわ、山道にはいるなりあっちにもこっちにも奇怪な円形の大型建造物がぼかすか建っている。これを見に来た私も、もうええわ!というぐらいあった。
円居の写真一枚目から3枚目までは絵ハガキである。3枚めは魚眼レンズで内部を撮ったもの。
アメリカの軍事衛星が、この完璧に円形で中空の建造物を上空から撮影、ペンタゴンが最初、軍事的な建造物だと判断したというウワサは本当だろうか。出来すぎかな。
夕方4時、永定到着。へとへとである。政府招待所では我々が婚姻証明を持っていないというので同室を拒否、こんなこともあろうかと香港の婚姻証明を見せるも、誰も英語が読めず、菊の御紋のパスポートを盾にねばりにねばって、やっと一室をとることができた。
簡単に食事をとり、7時に就寝。翌日7時までツェツェバエにさされたように眠る。