紹興がなかなか居心地よさげなので、延泊する。私たち日本人にとっても、紹興は魯迅の故郷として興味深いところだ。古い町並みがよく残り、ご老人の中国服(中山服にアラズ)着用率も高く、杭州のように観光客だらけということもなく。ナイスな街である。なにより静かなのがいい。
さて本日のメインイベント、紹興といえばここははずせない、というよりここしかない魯迅故居へ。隣が記念館になっており、門票はそこで買う。
記念館はよくできていた。魯迅の祖父は清朝のお役人であったそうだが、のちに汚職容疑で罷免され、魯迅家は没落する。父は秀才(科挙予備試験の合格者)だが、病弱で常に床に伏せっていたらしい。母は農村の出身で、姓は魯。魯迅の「魯」はここから来ている。本名は「周樹人」。
南京で学び、清朝から派遣されて日本へ留学。9年間滞在している。記念館には例の藤野先生コーナーもあり、銅像まであった。相棒が「魯迅のおかげで名を残した人やなあ」とスルドイことを言う。
内山完造夫妻と上海四川路の内山書店の写真があり、上海マニアには見逃せないだろう。(私はちがうが。) 魯迅の絶筆も、内山完造あての日文の手紙である。「ぜんそくがひどく、せっかくの約束ですがそちらには参れません・・・」 その夜、逝去したのである。
記念に「吶喊」を買った。秋謹の年表を、荷物が増えるのを考えて買わなかったのが残念。香港では手に入らなさそう。
さてさて、となりの紹興民俗博物館。なかなかヒット。紹興の習慣を展示したコーナーがあり、展示物自体はたいしたことないのだが、展示されているミニチュアの人形たち、おそらくは紙粘土で制作、着色されていると思うのだが、非常に生き生きしていいて、今にも動き出さんばかりなのである。同じ顔つきのものが一つとしてなく、また極めてリアルなポーズで、名人の作だ。
魯迅の小説に登場する「咸享酒店」で昼食。香港の「酒店」(広東語ではホテルの意)とはおのずとから違うわけで、昼間っから茶碗酒。サカナは昆布のつきだし、鶏の酒蒸し、ピーナッツなどなど。
丘の上に越王廟があり、紹興の街を一望できるというので行ってみる。越王殿は立派な建物でいづれはなんらかの由緒があるんだろうが、説明がきがまったくないのでわからない。中に絵が書いてあり、「臥薪嘗胆」「西施嫁夫差」などわかりやすい絵であった。あまり感心しない。
丘から降りると、日本人パッケージツアーのバスが泊まっていた。パックツアー客が泊まれるホテルなんてこの街にあるんだろうかといらん心配をするが、良く考えたら杭州から日帰りできているのだ。そーに決まってるよな。