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起床。「好清香酒楼」という、廈門では有名な福建料理屋へ行く。一階が小吃、二階がレストランになっている。私は下の方でよかったのだが、相棒がとんとんとんと二階へあがる。なんと二階は広東菜。廈門でモヒトツの点心を食べて不機嫌な我々であった。
食後、あんまり暑いんで半袖に着替えにもどったところ、ちょうど相棒のイトコが起きてきたので、そのまま叔父さん叔母さん入れて5人で昼食に出る。オナカ、いっぱいやがな。
昼食後は我々とイトコで廈門市内観光に出かけた。
まず、湖里山砲台という、金門・大担などの台湾領の島々が見える小高い丘に上った。ガイドブックには「一人一分一元の望遠鏡が大人気。ピントを合わせてもらうと、台湾領のスローガン「三民主義・祖国統一」が見える」とあったが、それってやっぱりまずかったらしく(笑)、望遠鏡は撤去されていた。
しかし大砲は見事なものだった。全長13.9メートル。1891年の建造のドイツ製で、口径280ミリ、重量60トン、購入時の価格は6万両(テール)であったという。
次に南普陀山寺へ。達磨大師が手足が腐り落ちるまで瞑想にふけったのはここと書いてあるが、ヨソでもそういう説明見たような気がするな。布袋和尚と同じく実在の人物なのだろうとは思うが、伝奇的だ。
本日は天気がよく、寺の後ろの山に登ることにする。山は全体が大きな岩山で、名前は「万石山」そのままである。中国人好みの奇観であった。相棒はもちろん健康、イトコは毎朝5キロばかり走っているそうで、もちろん健康。彼らには山登りは楽しかっただろうが、病み上がりの私にはしんどかった・・・
万石山の向こう側は万石公園であり、南普陀山寺から山を越えて公園側へ降りてゆくと、立て札があった。「この山、外国人立ち入り禁止」。立て札は公園の方を向いていた。
立ち入り禁止もなにも、禁止されている方の側から公園へ降りてきたのであって、いくら順法精神あふれるわしでも仕方が無い。
日曜の万石公園は人でいっぱいだった。90年に、私が最初に来たころに比べると、人々の様子は格段に違って見える。考えてみれば、タクシーがみなメーター制になったこと、バスや電話で磁気カードがつかえること、一般家庭のトイレが西洋式の水洗で、台所や湯沸かしのガスは、香港ではあんまり普及していない天然ガスだったこと、などなど、大変な速さの進歩だ。
夕食は、鷺江賓館という、上海で言えば和平飯店のようなホテルの最上階にあるレストランへ。港に面しているので、鼓浪嶼がよく見渡せる。
福建菜は油を余り使わないところや、煮込み料理が多いこと、海の幸を多用するところなどが日本料理によく似ていて、私の口によく合う。特に、こんぶやワカメのつきだしなど、ばつぐん。
この日、生まれてはじめて兎肉を食す。鶏肉と似ている。生前の姿を思いうかべてみると、かわいそうで喉を通りにくくなるが、食べた。相棒は豚の大腸をほくほく食べている。