本日は移動日。 7時半のバスで紹興から寧波に向かう。これが失敗。高速を走るのではなく、下の道を客を拾いながらちんたら走るバスだったのだ。12時に寧波到着。バス停前で軽食を取る。先に食べおわった相棒が外に出て行った。何事じゃいと待っていると、体重を記録したキップを持って帰ってきた。道端で計ってきたらしい。 55kg。あいかわらず骨皮筋衛門なやつよ。
寧波から普蛇山(山といっても、実際は島)行きの船が出る。高速船のチケットが売り切れていたので、4時間かかるフェリーで行くことになった、昼の2時発。
待合室で船を待っていると、民宿の客引きがどっさりやってきた。いずれも島の漁民で、今は自宅を民宿に改造しているのである。相棒は適当にあしらっていた。こういう時の対策も決まっていて、「教師だ」というのである。客引きはてきめんに引いてゆく。教師はビンボーの代名詞だ。私が南寧大学にいたころ、私の給料は1500元で、なんと校長より高給取りであった。教授はみなベトナムとの(密)貿易を副業にしていた。
さて、島について宿探し。あちこち見るも、どこも衛生面でツライものがある。相棒は民宿に泊まるのに気が進まなさそう。シーツや枕カバーを換えてないに決まってる、と言う。この辺の漁民は相棒が前回来た1989年のころはまだ米が満足に食べられず、サツマイモを主食にしていたほど貧しい地帯だから、5年や6年で衛生観念が育つわけはないと言うのだ。中国人が中国人について言うんだから、まあそうなんでしょうね。中国人、歯ブラシ家族で共有してたもんなあ。(南寧にての見聞ナリ)
もっとも、中国人にとっての漁民は、ワレワレにとっての被差別部落民的存在である。かつては非漢民族でも受験できる科挙を、受ける資格を与えられていなかったという。そういうのもあるのかも。
海軍招待所へ行くも、80元で風呂無し。部屋ももヒトツである。本日はひとつ安さを追求してみようと、結局民宿に泊まる。相棒の指示により、シェラフを使用しての就寝となる。実際寒い夜だった。