***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年4月9日火曜日

「賑成楼」を見学

客家の円居は、現地では土楼と呼ばれていた。私は知らなかったのだが正方形のものも多く、どちらにせよ外敵の進入を防ぐため、小さな入り口が一個所あるのみで、窓もすべてかなり上部に小さく開けられているのみである。これらは小規模ものも含めると2万楼ほどもあるのだそうだ。

ヒッチでトラックに乗せてもらい、岐嶺-湖坑を経由して地元で一番有名な「賑成楼」を見学に行く。入場料10元。(外国人は30元 ) 「賑成楼」では、内部にもう一つ円形の住居があり、さらに中心には共通の祖先を祭る祭祀堂があった。基本的に、一つの建物に住むのはすべて同族である。

内部は魚眼レンズでなければとても全体を写しきれない。

鳥小屋の扉に貼ってあった春聯。
「鶏も家鴨も群れを成しますように」

さらにヒッチで胡文虎(タイガーバーム社の創始者)の実家を見に行く。なかなか悪趣味な記念館が建っていた。

私は胡文虎は極貧の生まれで、シンガポールに出稼ぎに出た後たいへんな苦労をして薬屋を始め、阿片のくずを混ぜた萬金油が大ヒットして一躍大富豪・・・と勝手に思っていたのであるが、全然違ってた。実は胡文虎はビルマ生まれで、父は中国南部から南洋にかけて各地に店を構える薬商。胡文虎がシンガポールへわたったのは、父親の店のシンガポール支店を任されたためであった。記念館で父祖の写真や胡文虎自身の幼少時代の写真を見ると、どうしてなかなかのお金持ちである。ふーん、そうだったのかという感じ。ちなみに弟の名は胡文豹。

なんか見るからにお金持ちぽいっすね。しかしハイソックス・・・

それにしても胡文虎実家、バスもトラックも通らないド田舎なので、来たはよいが帰れない。このままでは山道を8キロぐらい歩いてトラックが拾える道に出るしかない。・・・と悩んでいると、ちょうど折よくオートバイが走ってきた。交渉し、3人乗りで下洋まで連れていってもらうことにする。

さて、下洋からバスで龍岩へ、相棒によると、特に見所の無い街だそうなので一泊して素通り。本日はやたらめったら疲れた。