朝8時安順着。一応安順に泊まるつもりで宿を捜す。安順民族飯店30元、もちろん風呂などなし。旅社なみの設備であった。しかし安いので荷物を降ろし、黄果樹へ出かけることにする。
大きな十字路で黄果樹行きの札を出しているバスを発見。これが大失敗の本。11時半に乗車するも、同じ道を延々と客引きをし、結局安順を離れたのは12時をとっくにすぎていた。おまけに高速道路ではなく、下の道を客を拾いながらちんたら走るローカル生活密着バスで、挙句に黄果樹手前の鎮寧という町で黄果樹行きのバスに我々を乗せかえ、行ってしまった。(こういうのを「売猪仔」という)結局、63キロの道のりに2時間半かかったことになる。いらちの相棒はかんかんだ。
さて、黄果樹、中国最大の滝である。
晴れた日には水煙が遠くからでもよく見えるという。残念ながら私たちが行ったときは雨だった。相棒が「なんか前に来たときより迫力に欠ける気がする・・・」というので土産物屋の現地人に聞いてみると。確かに今は水量がない時期だとのこと。夏にはもっと水量が増えるが水が黄色くなってしまうので、美観でいうと今が一番なのだそう。しかしあいにくの雨模様。また、滝の後ろが天然の洞窟になっていて、右から左へ通り抜けられる。カサかレインコート持参をおすすめ。
正直言って、私自身にはたいそう心引かれるところではなかった。なんか、滝。中国最大だというので、ナイアガラの滝みたいなのを想像してたせいもある。
それより印象深かったのは、この地方の布依族の村落。すべて石造りの民家。このあたりは桂林と同じカルスト地形らしく、石の山、岩山が非常に多く、平地がほとんどない。貴州の貧しさを現す一句に、「天無三日晴、地無三里平、人無三文銭」というのがあると相棒が教えてくれたが、まさしく岩と岩山ばかりで、くしの歯のようにとがった岩の間にひっかかった、ほんの洗面器ほどの広さの土地に、三株四株、また二株三株となにくれとなく植わっているのは、胸をつかれる眺めである。
きれいに地層が出た岩山は、その地層に沿って雲母のように一片一片はがれるらしく、このあたりでは家を建てるのに煉瓦や土を使っていない。厚みが煉瓦ほどのものを集めて壁を組み、薄いものを並べて屋根を葺く。野積みは通常、耐久性にも美観にも欠けるが、ここのは美しい。特に印象深いのは瓦がわりの石の屋根で、厚みは一様に2センチ程度、濃いグレーのグラデーションが不規則な鱗のように並んでいる。
さて、黄果樹からどうやって帰ろうかと歩きながら相棒と相談していると、早速客引きがやってきた。「5元でどうだ?」なにー!? 行きには12元を10元に値切ってきたというのに、しかも5元で高速に乗って帰るという。やられた。われわれはがっかりだ。
そのバスに乗ると、なんと列車で向かいの臥鋪にいた西安人ではないの。彼らは6人でこのバスをチャーターしたんだそうだ。相客を拾ってもいいという条件で値段交渉したのだという。いくらで乗ってんの?と聞かれたので、正直に答えると、皆フクザツそうな顔で黙り込んだ。彼らは6人130元でこのミニバスをチャーターしたのだという。なんだか申し訳なく、こちらも行きはぼられた話をする。
高速をスカスカ走って安順到着。
駅で明日のチケットを予約しようとすると、当日のしか売らないと言われ、いったん宿に帰る。しかし、寒いのと雨が降っているのとで気がすぐれず、宿も汚く気乗りのしない雰囲気で、やだやだやだやだと言いながらトイレに行くと水が止まっている。必然的に汚物たまりっぱなしのテリブルなトイレとなっており、用を足すのに難儀する。水がないので歯も磨けない。
プチ、と何かが切れ、今夜の夜行でここを離れると宣言、駅へ再度足を運んで本日のキップ購入にトライ。割り込みをした少数民族に注意をしたら腰のナイフを抜かれてしまい、「こらあかん」とにわかに日本語や英語で怒鳴ってみるも、外国人だとわかってもらえず効果なし。左半身で怒鳴りながら右半身でキップを買い、購入するなり下半身は速攻全速力で走って上半身はタクシーを止め、「今日はこのくらいにしといたるわ」とは言わなかったが何やら叫んでその場を去る。
宿で穏健派の相棒にこってり油を絞られる。
宿では手も触れられないほどの熱湯は出るが、水はやはり止まっているという不思議な状況になっており、トイレの水は熱湯に切り替えられていて、すさまじいにおいの湯気が立っていた。
今日のトイレ日記。
1) 列車 汚かった
2) 宿 狭くてドアがしめられない
3) 鎮寧バス停 人生でもっとも汚いトイレのひとつ
※汚物で地面がじくじくし、うじがわきまくっていて目的地(穴)までたどりつけない。私も手前で済ませた。
4) 黄果樹 立ち上がると通行人から丸見えの腰だけトイレ
5) 宿 断水。椎名誠の「ロシアにおける・・・」みたいになっていた。
6) 宿 熱湯で流す奇妙なトイレと化していた
7) 列車 夜10時ごろ
8) 列車 夜12時ごろ
B胱炎(とくに伏せ字とする)持ちは大変だ。
ところで、我々は硬臥票を買ったはずなのに。542kmで269元(二人分)とやたら高かった。桂林-安順が883kmで267元である。そこで、チケット代金の内訳を子細に見てみると、基本料金72元、寝台費が90元、保険が4元、手数料が10元に、なんと「冷房費」が93元もついていた。冷房ったって余りの寒さにセーターとジャケット着込んでるという天気でなにが冷房だ。
しかしながら、中国では冷房付きの列車というのは新車だということだ。私より年上の列車(もちろん蒸気機関車)だって珍しくない中で、少なくとも新しい列車にのれるはずと期待していたが、期待通りのキレイな列車で、テーブルにカバーがかかっており、カーテンは真新しく、通路にはじゅうたんがしかれていて、各開放式コンパートメントにゴミ箱がひとつづつ支給されていた。始めて列車に乗った90年には、ごみはたとえビール瓶でも窓から捨てるのが常識中の常識だったことから考えると、全くたいへんな進歩である。
***このブログについて***
書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。