翌日7時のバスで橋頭に向けて出発。こちらからのルートの方が登りが少なく、やや楽なためである。橋頭から徒歩で虎跳峡風景区に入境。しばらくは車でも入れる広い道が続く。
峡谷沿いに細々と連なるこの道は、車で入れる道の終点とともに突然頼りないものとなった。
(右の写真真ん中あたりの人影が我々。)
広くある歩きやすくなる部分もあるにはあるが、多くは角張った石だらけの歩きづらい道である。滝を4つ越え、岩を登り、無数にある地滑りの後を落石と転落に注意しながら歩くのは、私にとっては初めての経験だ。絶壁に細い道が危うく連なっている場所では、風が吹くたびにひやりとし、急斜面に連なる幅15センチぐらいしかない山羊道に泣きそうになることもあった。
風の強い日にこのルートをたどるのは恐らく極めて危険なのだろうと思う。下は崖で、その下は濁流だ。死体すらも上がってこないのではあるまいか。また、雨の日には絶対に歩くなと何人もの人に警告された。悪天候で虎跳峡に向かった日本人がすでにひとり行方不明になっているという。
我々が出発した日は、きわめて理想的な一日だったのだろう。薄い雲が太陽の日差しを遮り、ほどよい追い風はついに一度も突風とはならなかった。核桃園までの23kmは5~8時間ぐらいで歩くのが標準だそうで、我々は5時間で到着した。晴れた暑い日であれば、もっとかかったことだろう。熱射病で亡くなった外国人も、やはり2名ほどいるという。
同行のイギリス人老夫婦はトレッキングが夫婦共通の趣味とかで、トレッキング歴25年のベテラン。フランス人のうち一人はフレンチアルプスのふもと出身、玉龍山脈をみあげては俺はむしろあっちに登ってみたいとつぶやく本物のクライマー。彼らをペースメーカーに、必死で付いていったための6時間であった。あとふたりのフランス人は結局遅れ、2時間後に到着した。
核桃園の景色は抜群だった。対岸の絶壁は雄大にそそり立ち、一面に黒っぽく、まばらに草木が生えている。こちら側では急斜面にへばりつくようにして民家が散在し、人々はずりおちそうな小麦畑をかろうじて耕作している。
外国人にWalnuts Groveと意訳され、愛されているこの集落の名は、もちろん胡桃(中国語では核桃)の樹が多いことから名づけられた優雅な名だ。この小さな集落にも宿が2軒あり、どちらも外国人相手に繁盛している。宿の主人によれば、ここのやってくる旅行者の99%までが外国人だそうだ。
この村のほとんどの住人は、清朝末期に四川省から移民してきた人々で、日常語としては四川語を話し、普通語をうまく話せない人も多い。宿の主人は小学校に2年間いった後、12歳のときに我々が今日歩いてきた道を村の若い衆とともに橋頭へ向かい、それからは雲南省と四川省を仕事をしながら流れ歩いてきたのだという。流れ歩いたといっても別に怪しい大男というわけではなくて、小柄でひょろひょろした、笑みを絶やさないお兄さんなのだが・・・。
この村のあまりの風景のよさ、静けさ、かつゴハンのおいしさ(放し飼いの鶏を一羽しめてもらいました・・・)、なんとびっくり手作り太陽熱ホットシャワーシステム、清潔なトイレ、などなどに感動した我々、もう一泊することに決定。なまけものの私だけなら、一週間はここでぼけぼけしそうだ。ちなみにこの宿の記録はドイツ人の23泊だそうである。
さて、その夜は15人ほどの旅行者が我々の宿に泊まっていた。その中に連れのフランス人男性とはぐれたという日本人・オランダ人の女性二人連れがいて、連れのことを非常に心配していた。彼女たちは我々とは反対に、大具から入ったのだが、川を渡る前に彼とはぐれ、そのままそれっきりになってしまっているそうなのだ。夜になっても来ないということは、どこかで道に迷い、夜を過ごしているのだろう。渡し舟や大具で聞いてみることを約束した。