***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年5月14日火曜日

チャリで大理観光

「表層生活」読了。生きることにこんなに違和感を持つ人っているのだな。私ってば単純でよかった。ツインに空きが出たので見に行く。あかんかった。狭くて暗くて臭い。

雨でどうしようもなかった昨日と比べ、天気がいいのでちゃりを借りて湖まで降りてみた。考えていたより時間がかかった。こぶし大の丸い石を埋めた石畳をちゃりでとばすと、おしりが痛くてしょうがないったら。

ホテルの貸しちゃりにはコンディションのいいものがほとんどなく、いろいろと点検していると、レストランの厨房から最初から最後までじいっと我々を見ていた女がいて、彼女はレストランのウェイトレスである。この女が、初日からずっと穏健派の相棒をイライラさせているのであった。おそらくオーナーの親戚かなんかでもともと態度がでかいのだが、それにしても白人とそれ以外に対する態度の差がひどいのだ。

白人にはフレンドリーで、我々にはハイハイ何言ってんのってな感じである。白人のオーダーは常にすばやく、我々のオーダーはたとえ冷蔵庫から出すだけのヨーグルトであろうと遅い。私の注文が30分立っても出てこないので厨房まで見に行ったら、まだ手をつけられていなかったこともあった。

中国女には珍しくないタイプなので、正直私はあまり気にならならなかったが、相棒には我慢がならなかったらしい。相棒は中国人・私は配偶者ということで名誉中国人(笑)としてほかの白人以外の客(日本人とか韓国人とか)よりまだひどい応対を受けていたし。まあ、同じ民族にこんな女がおったら私だってハラ立つよなあ。民族的義憤ってやつですか。

さてこの女、ほとんど使えない貸しチャリの点検と空気入れなどの作業をようやく終わって、さあでかけよう!という我々を見て、フンと鼻で笑ってぬかしやがった。「ご苦労様。」

一塔寺へゆく。三塔寺は三度も行ったことがあるが、一塔寺は一度もない。一塔寺は公園になっていたが、手入れもされておらず人気もない。野の花が咲き乱れていて、かえって好ましかった。透明感のあるブルーの野花、白の細かい花、たんぽぽの黄色、サクラ草に似たピンク、さまざまだ。

一塔に座って湖を見下ろしていると、下から観光客らしくない二人連れが登ってくるのが見えた。と、相棒が「すぐ降りよう」と、どんどん歩きだした。そして「おーい、速く登ってこいよ、景色がいいぞー」と、あらぬ方角に向かって呼びかける。察した私も「花が一杯咲いてるわよー」などと、大声で出しつつ、速攻でちゃりを止めてあるところまで戻った。ま、何事もないとは思いますが、一応保険です。我々は外人には見えないことだし。

夕食を、相棒があのレストランでは絶対に食べたくないと言うので、城内へ食べに出た。150年の歴史のある木造建築という店で、おいしいソースのかかった熱いステーキに、おいしいドレッシングのかかった冷たいサラダを食す。10元。大満足。ツーリスティックな店は嫌いだとかぬかしながら、食べ物に関してはあっさりと日和りますなあ。