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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年5月21日火曜日

白沙村壁画と玉峰寺

本日は洗濯日。一時間かかった。たいそう天気がよく、白沙村へ行きたいのだがちゃりでは行く気がしない。バスを探すと運良くミニバスが来た。とりあえず乗ってみた。2元。

バス停前の毛沢東。

白沙には明代と清代の壁画があり、明代のものは参観可能である。門票は1元。きわめて均整の取れた壁画で、唐代の遺風を残していると説明人は誇らしげに語った。もっとも、門外漢の私にはそれが妥当な評価なのかはさっぱりわからない。私にとっておもしろかったのは、絵の中央部が完全に中国風の絵かと思えば下の方はなにやらチベット絵画風であったり、また別の絵にはインドのカーリーそっくりのものがあったりして、なにやらいろいろな作風が混ざっているように見受けられたこと。

そして、白沙村といえば忘れてはならないドクター・フー(和医者)。自慢話にあけくれるかわいいおじいちゃんである。一種の名物なので、白沙を訪れる外人はたいてい彼を訪れる。そして「東洋」に関する過剰な思い入れ(たいていは無知と裏あわせ)から、完全に傾倒してしまう人も少なくないらしい。豪州で教育を受けたマレーシア華僑が、やはりエライ感心のしようでおかしかった。我が相棒は残念ながらそれほどお育ちが良くないので、20秒で飽きたらしく、勧められたナゾの薬茶を見て「その茶、飲むなよ」と広東語で私に命じた。

白沙村から三輪で玉峰寺へ向かう。てっきり門まで付けてくれると思っていたら、大変なでこぼこの小道を玉峰山の下の小村まで連れていってくれて、ハイお終い。仕方なく30分ほどの登山となる。

玉峰寺は万朶山茶(万の花をつける椿)で有名。花の季節は終わっていたが、奇怪な枝振りの椿の巨木はおもしろかった。寺はチベット仏教で、本尊も脇侍も中国風とはちがっていた。ここは空気がいいのか水がいいのか、まつぼっくりが長さ20センチ直径10センチほどもあり、びっくりである。

CITSのワゴンに便乗(10元/一人)、麗江まで帰ってきた。CITSの職員の一人が摩峻族の女性で、歌を歌ってくれたがほれぼれするような声と声量であった。 摩峻族の歌い手というのは、北雲南では有名らしい。