朝7時10分のバスで寧浪へ向かう。日本人の女性が二人乗っていた。バスは案の定見事な破車(ひどいボロボロの車)で、永勝を経由して寧浪に到着したのが4侍。私はぐうすか眠っていて知らなかったのだが、麗江盆地を出てすぐものすごい峡谷を走り、あまりの危なっかしさに相棒は震え上がっていたのだそうだ。
私が目を覚ましたときには永勝の一つ手前の盆地で、青い山々に囲まれた中に一面の水田が広がり、美しく装飾された家々が点在する集落を抜けるところだった。家の造りから判断して、ここと永勝は漢民族の集落らしい。
さて、寧浪はイ族自治州。永勝を抜けると、途中経過した村もイ族の集落が多かった。女性はイカのような形の、黒い布を張ったでかいでかい帽子をかぶり(中に板でもはいっているのか、棒でもつっかえてあるのか?)、長袖の上にベストを着て、縦シマ模様の帯をしめている。スカートは細かいひだが無数に入ったくるぶしまであるロングスカート。切り替えが二段入っていて、真ん中と上下の布の色が違う人も多い。老婆たちは40センチほどもありそうな長い長いキセルを吸っている。
男性はほとんど民族衣装を身につけていないが、黒い服に黒いズボン、黒いターバンに黒い帯の老人を2度見かけた。相棒が言った。「"黒イ"や。」黒イとは何ぞや?
やっとこさたどり着いた寧浪はめちゃくちゃ暑かった。同行の日本人女性が30分歩いただけで日射病らしき症状を訴えたぐらいだ。我々は「中暑(日射病)にはビール!」の合い言葉通り、明日のキップの手配も後回しに、とりあえず飯屋でビール瓶をかたむけた。飯屋の従業員に話し掛けるも、そこの従業員ときたら全員見事な四川語しか話せなくて、向こうはこっちの言ってることがわかるのだが、その返答が我々には全く聞き取れない。そこで、通訳をしてくれたのがなんと客のイ族の男性。彼はでかいでかい碗で麺を食べながら、ゆっくり私たちの相手をしてくれた。私は先ほどの疑問を口に出してみた。「黒イ」とは何ぞや?
イ族には黒イと白イの別がある。これは部族や住んでいる地域による区別ではなくて、社会的な地位、つまり階級による区別なのだという。黒イは貴族、白イは平民に当たる。解放前のイ族は奴隷制社会の段階にあり、白イは平民といっても売買の対象であったので、史学的に言えばやはり奴隷である。馬一頭と女一人がほぼ等価、男は4〜5人ぐらいだったそうだ。子を産むほうが価値が高いというのは、鶏といっしょである。
イ族の本拠地は四川なので、成都でイ族関連の文献が手に入るだろうか。
飯屋で教えてもらった通りに明日のキップを手配、小さな宿で早寝をする。