ところで、1996年2月3日の麗江大震災には、核桃園でもかなりの揺れがあったという。夜7時ごろ、多くの旅行者がすでに到着して夕食を取っている最中に地震は起こったそうだ。これが白昼、彼らが歩いている時間帯に起こっていたら、いったいどうなっていただろうか。村にいてさえ、落石で村人が一人死亡したほか、多くの村人と二人の外国人が負傷しているのである。
60すぎのおじいちゃんと話をすると、30年ぶりの地震に若い世代は肝をつぶしたそうな。地震の瞬間、山のあちこちでダイナマイトを仕掛けたような爆音が鳴り響き、見る間に対岸の黒い絶壁が見渡す限りの白い粉塵-衝撃で砕けた岩の破片-で覆われた。絶え間無い落石の音が尾を引く中、やがて粉塵は風に乗ってこちら側に届き、あたり一面を白い世界に変えてしまったという。
その後の数日間、村はもちろん外界から孤立した。数日後、公安と軍隊が外国人の安否を確認し、彼らを保護するために道を開きながらやってくるまでー。
宿の雑貨売り場に、なにげなくピストルが置いてあった。もちろん売り物ではない。ぞっとしながら主人に尋ねると、一人で橋頭に行くときにはこれなしでは恐くて行けないという。ヨソ者の強盗は、襲う時には外国人でも現地人でも区別なしで襲うという。なんでも、この北の方にある採石場で囚人が労働力として使われており、そこからの脱走犯が複数潜伏しているのではないかという噂だそうだ。このへんの村人は町へ出る際には何人か集まり、腰にナイフをさげて行くのが普通だとか。
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書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。