***このブログについて***

書き続けている日記のうち、旅行記をここにまとめておきます。右サイドメニューの「その他の旅行」から各旅行の目次に飛べます。サイドメニューの下のほうの「痩公胖婆400天渡蜜記」は、一年と少し(1996/03/31 - 1997/06/01)にわたった新婚旅行の記録の目次です。気が向いたときにぼちぼちあげています。

1996年5月23日木曜日

金沙江・石鼓・オランダ人詐欺師

6時半起床。本日の課題は洗濯と両替。両方済ませた後、9時半のバスで石鼓へと向かう。2時間ほど。石鼓は金沙江ぞいの納西族の小村である。金沙江は長江の重要な支流の一つで、金沙江はここでぐぐっと見事にヘアピンカーブしている。よってここを長江第一湾と称す。

またここは急流の金沙江がめずらしくゆるやかに流れているところなので、古来渡し場として有名だった。古くは蜀漢の諸葛亮孔明が雲南征伐の時にここを渡り、またフビライ・ハンも雲南を攻めるときにはここを渡っている。新しくは1935年4月23日、賀龍将軍率いる中国工農紅軍第二方面軍が長征の途中でここを渡っている。って看板をそのまま書き写してるだけ。賀龍将軍ってだれや? あとで相棒に聞いてみよう。

石鼓という名は、太鼓に似た丸い石碑から付けられたもの。この石碑は16世紀頃に麗江の土高という納西王が、蔵族(チベット族)と戦って買った記念に、1561年に作られたそうだ。

しかしこの石鼓、石碑と金沙江以外何も見るべきものがない田舎である。見るべきものが無いのは別にいのだが、帰りのバスが無いのは困ったさん。本日は定期市が立つ日らしく、坂の上の道いっぱいに出店が出ているのでそれをみて時間を過ごす。

能舞台のようなものがあり、中国のほかの地方では見たことが無いので興味深かった。なにに使うのだろう? 演劇? 人形劇? または演説台?


古い木造民家が多く、面白い。一軒の民家が、門神として関羽と張飛のセットを張っていた。門神は普通は秦涼(玉へん)と尉遅恭が多く、関羽と張飛なんて見たことない。

などと時間をつぶすも、バスは来ない。仕方なく、バス通りまで出て待つ。空気カラカラのかんかん照りで、とても日向には立っていられない。別に空腹ではなかったのだが、飯屋にへたりこんで麺を注文。そしてゆっくり食べた。バスはこない。食べおわって、ビールを頼んだ。バスは来ない。客が立て込んできたので店を出た。バスはこない。駄菓子屋でアイスクリームを買って店先にへたり込んだ。バスはこない。水を買って飲んだ。バスが来た!喜び勇んで走って行くと、麗江行きではなかった。戻ると、さっき座っていた所には別の人が座っている。バスはこない。

・・・とかしているうちに3時間半後、バスが来た。よかったなあ。

麗江に帰って3週間ぶりに自宅へ電話するも、誰も出ない。10分おいてまた電話。誰も出ない。くそお、また二人で仲良くゴハンでも食べに出とるなあ。仕方なく友人Kに電話。うちに電話しといてもらうよう頼む。

さて、宿代を前払いすべくフロントで順番を待っていると、大理で有金を全部とられたとか言って同情を引いてきたオランダ人がいた。食事時なのでとりあえずおごってやることにして、食事がてら話を聞く。ドミで寝ている時に同室の旅行者に取られたようだ、食事もできなくて困っているとオランダ人フランク・デ・ローイ、ゴハンを5回もおかわりしたが、外弁(外国人弁事局/外人対応専門の役所)の知人に話つけたるわと相棒がカマをかけると、とたんにそわそわ落ち着きがなくなった。おおかた、私が日本人女性なのでマヌケだと判断して声をかけたのだろう。まあ、私ってお育ちよさそうに見えるしなあ(<言っとれ)。で、今まで何例ぐらい成功してるのであろうか。